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澳洲超市

澳洲有兩大超市:Woolworths 及 Coles,

Woolworths住宅區較多,Coles則市區較多。

Woolworths特惠貨品較多,還有一個很重要的優點,就是單據後的優惠劵!

香港超市單據後面都是空白一片,但澳洲的超市很會利用這頁去賣廣告,

一張單據後面會有數個優惠,不過通常有用的只有一個。

例如是Subway買一送一、The Coffee Club(當地的連鎖CAFE,就像香港的大家樂、大快活一樣)買一送一,善用的話真的非常划算!

要注意優惠限制頗多,邇常指定只可用於列明附近的一間分店。

Coles其實也有優惠劵,但幾乎全都用不著。

澳洲超市

汝の名は女

のんびりお菓子探訪シリーズ

これおいしー

大人のガリガリ君白桃味

ガリガリ君のイメージを覆す果実感とジューシィ

これもおいしー

窯焼きミルキー

まるでミルクケーキ

チックな脱脂粉乳感がたまらない

(sket dance 19巻より/©篠原健太 集英社)

Gourmand, thy name is women.

(くいしんぼさん、汝の名は女なり)


おひとりさまランキング

日常

媽媽節@20180513

第六個母親節,寫兩句。點解要洗完頭嚟影相呢,因為佢哋日日見到嘅阿媽就係咁,有笑有淚,活在真實。

我,真心唔洗佢哋太乖,將來唔洗太孝順,唔洗太愛我,唔洗背負太多屋企嘅枷鎖,未來可以好好生活,了解自己同理他人,有能力追尋夢想實現理想,保持身心健康堅强果敢,唔好白來一趟,我作為阿媽就收貨。

希望佢哋會明白,我有好好咁愛佢哋,而且會一直如此。

Tabi no Hint Book: Brooklyn, book signing event in NY on April 16th, 2018 at JAA (Japanese American Association of New York, Inc) NYのクリエイティブ地区ブルックリンへの出版を記念して、トークイベント&本のサイン会を開催。当日の様子

ニューヨーク

ルクセンブルク人はコーヒーの消費量世界一?

昨年秋、全日本コーヒー協会の冊子COFFEE BREAKの取材のために、ルクセンブルクに行ってきた。 さらに11語

観光・風景

抹茶奶油餅

為姪女做的收涎餅~搬出珍藏的MOA日本抹茶粉

奶油小餅配方:

低粉167  奶油100  鹽0.2  蛋黃2 糖83.5  (抹茶粉 適量),150度烤16分鐘。

Black Tea

ダーリンはスウェーデン人2〜「女らしさ」「男らしさ」?〜

「雨は夜更けすぎに〜雪へと変わるだろう〜♪」

逆でした。数日前に書いたブログでは、雪が積もっていてキレイだ、みたいな話を散々書いたけれど、数日の間に、雪が雨に変わり、とけた。この瞬間はやはり秋(初冬?)のジレンマという感じで、気温もまた10度近くまで上がったことから、雪は早くも道から消え去ってしまった。寒がりの私もこのときばかりは気温が上がることに少しイラっときたりする。やはり、雪が消えると暗さが気になる。雪よ、カムバック!

前回の「ダーリンはスウェーデン人」のつくレポが予想以上に反響が大きかったので、自分の中の熱が冷めないうちに続編をトライします。カルチャーショックも色々な気づきも、書き留めておかないと忘れてしまって、せっかくのアハ体験を共有できないのはもったいないという気持ちになるのでね。ちなみに、なんと大学の先輩が、元ネタの漫画の「ダーリンは外国人」の作者と会って友だちになったということを教えてくれて、相変わらずの世界の狭さに乾杯。

前回の、彼のことを「パートナー」と呼ぶという話に派生して、なんで「パートナー」という言い方にしっくりくるか、ということを考えた。それは、自分自身、「彼女」「嫁」「妻」に比べて、「彼女だから〜」「妻だから〜」というように、「◯◯だから〜でなければならない」という枠にハマりづらいというのがあるんじゃないかと思う。「パートナー」というなんとなく新鮮味のある表現だからこそ、「パートナーだからってどういう態度をとらなければならない」というのが特にハッキリとはしてなくて、そこがある意味ミソなんだと思う。

私が日本を出て生活することがある意味しっくり来ている理由は、スウェーデンに住んでいる外国人(というか移民?もう留学生ではないか)として、そういう社会から無意識に押し付けられる「枠」の外にいるからというのがあると思う。もちろん、スウェーデンにもそういう枠はあるんだろうけど、日本よりは枠を押し付けようとする力が弱かったり、枠について問題提起したりする力が強かったりするという印象がある。そして、日本の外に出ることで、日本で常識だと思ってることや、しょうがないと思いながら受け入れてる数々の「〜でなければならない」というしばりを、一つ一つ取り外していくことができる気がするのだ。枠によって、自分自身を生きづらくしているということは、実は誰にでもあることなんじゃないかな。

彼と付き合い始めて最初の頃に、一緒にごはんを作ったときのエピソード。「おかわりいる?」ってよそってあげようとしたら、「あ、大丈夫だよ、自分でよそえるから。」と言って彼は自分でごはんをよそった。この些細な動作が、実は「おっ」と私が思った瞬間なんだと思う、なにせこの詳細を今でも覚えているのだから!

彼はもしかしたらスウェーデン人男性の中でも意識が高い方なのかもしれないけど、「家事は半々!」というポリシーを徹底している。「女の方がよそってあげる」という動作に違和感を覚えた彼は、「女だからとか関係ないから」と言って、家の中や恋愛関係の中での「男女平等な関係」を私と一緒に実践しているといえる。

超料理好きという一面をもっている彼は、日々の料理はだいたい私と一緒に作る(もちろん片方が仕事が遅くなるときとかはもう一人が料理し始める、という感じで)。私も料理けっこうする方だと思っていたが、彼は第二の人生があったら料理人を目指すでしょう、という感じ。最近は誕生日にパスタマシーンをもらってパスタをイチから作ったり。。凝り性であっても、日々の主婦的な料理もこなせるスーパーマン。料理番組の見過ぎなのか、プロのキッチンのマネをして、献立によって「今日は私が料理長で、あなたが副料理長ね」と言って役割分担を変えながら楽しんでる(笑)

料理は互いに好きだから、半々やるというのはわりと自然に成り立つ。でも、掃除は、彼の方が得意であっても(私は大の苦手)、二人とも意気揚々とできるタスクではない。それでも、週末の決まった日に、二人でがーっとする。

普通とは逆だろうが、うちでも家事の負担が片方に寄りすぎて不満がたまり、ケンカというか「話し合い」という形で問題になったことがある。そう、うちの場合は彼の方に負担がかかりすぎていたのだ(笑)それは私が仕事が忙しかった時期で、帰りがどうしても彼の方が早く、毎日料理を最初にし始めなきゃいけなかったり、色々と家事負担をこなさなければいけず、平等じゃない!となったのです。今思えば、それはすごく重要な話し合いだったなと思う。私は仕事がすごく好きで、完璧主義者とは言わないけど、自分が関わっているプロジェクトは、なるべく成功するように全力を尽くす。それに時間や労力をかけることは別に苦痛ではない。一方で、彼からしたら私は「働きすぎの国」(=日本)から来た人で、そのまんま、働きすぎる性質のある人間。「こんなに忙しいのは今だけ」と見る私に対して、「こういうことは一生続く」と鋭く指摘。結局折り合いをつけたのは、私もタスクを受け入れる時点で、働く時間が過剰にならないように調整するようにし、彼の方も、家に早く帰っても、ジョギングに行くなど、「自分の時間」をちゃんと取るようにすることにしようとなった。

でもこの話し合いも、「家事は半々にしよう」というルールを互いに実践しようと深く信じているから成り立ったのかもしれない。

そういえば、同じ修士課程の彼と初めて話したのは、ジェンダーがテーマの授業のディスカッションのときだった。ジェンダーについてのディスカッションで男の人と話して「わぁ、この人すごく考えてるな」と視界が開けたのは初めてだった。やはり、スウェーデン人男性の中でも意識が高い方ではあると思うが、スウェーデンという「男女平等」を強く推している社会では、珍しい存在ではないと思うんだ。

ちなみに料理好き・料理上手の男友だちはすごく多く居る。カップルの中の実態を細かく観察するのは難しいけど、家事を半々として男女平等の関係をもとうとするのはあくまで絶対に「かっこいい」ことと見られているのは確かだ。統計を見るとまだ、女性の方が子育てや家事を多く担当していることが多いという数字が出てくるが、日本ではまだまだ聞きそうな「女がやるのが当たり前」というようなことを誰かが言ったら、スウェーデンではそれがどんなにくだけた場でも誰かが鋭くつっこむし、問題になる。社会として、意識が高いのだ。

一方で、「男らしさ」という枠にも、痛みは伴うのだ。日本でもそうかもしれないが、スウェーデン人男性における「男らしさ」とは、弱みや感情を見せない、強い男性像なのだ。なんて有害な枠を押し付けるんだろう、と私は憤慨する。こういう風に社会の中で育てられたから、彼も、未だに自分が辛いときに辛いと言い出せないのだ。どういう風に、自分の気持ちについて話したらいいか分からないようだ。

私の感覚だったら、会話をしてるんだから、どういう風に感じてるかなんて自然と話の中で出てくるものでしょう、と思っていた。そしたら、「尋ねてくれないと言いづらい」と言われた。がつんと来た発見だった。特に辛かったり悲しかったりするとき、どういう風に言葉に紡いだり表現したらいいのか慣れていないから、「今、どう感じているの?」(How do you feel?)としっかり聞いて、答えるのを待ってあげないと、何も出てこないようだ。自分がどう感じているのか分からない、という感覚は、もちろん私にもわかる。そういうときもある。「大丈夫」「平気」という風に装うことに慣れてしまって、自分の感情にもある種、麻痺してしまっているような感じ。男性でなくても、こういう状況の人はいると思う。でもそれはすごく危険だと思った。「男だから泣くな」と一度でも言ったことがある人は、思いとどまってほしい。なんで男だったら泣いちゃいけないのか。自分の感情を表現して何が悪いのだ。感情を外に出さないことに慣れすぎて、自分が苦しんでるとき、外に出せなったりちゃんと自分が苦しいということに気づけないことは、すごく危ないことじゃないか。

繰り返すが、これは男性だけの話じゃない。私も意識的に、「仕事どう?」だけじゃなくて、それによってストレスがたまってるだとか、仕事が楽しいだとか楽しくないだとか、どういう風に感じているかをちゃんと聴くようにして初めて、彼ももっと話すようになってきた気がする。そのことは、すごく大切な一歩だと思うし、意識し続けていく必要があるプロセスだと思う。

英語では、「元気?」(How are you?)というのが挨拶がわりだが、「ちゃんとHow are youと聴く」という運動を職場でひそかに私は始めた。その心は、表面上の挨拶としてだけじゃなくて、相手が今本当にどうしているのかを聴こうと思い始めたからだ。弱音やネガティブな面を外に出しづらいのは、日本でもスウェーデンでも同じな気がする。「元気?」って聞いたら、ちゃんと答えを聴こう。いつも元気じゃなくていいんだから。

スウェーデン