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ラプラスの悪魔

マリオ・リヴィオ 『神は数学者か?』 p177

すべての事象は、たとえそれが些細であるために自然の偉大な法則に従うとは見えないようなものでさえも、太陽の運行と同じく必然的にこの法則から生じている。これらの事象と宇宙の全体系とを結ぶつながりを知らないので、人は…(中略)…目的因によるものとしたり、偶然によるものとしたりする。…(中略)…したがって、われわれは、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以降の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状態を知っているとし、さらにこれらの情報を分析する能力を持っているとしよう。するとこの知性は、宇宙のもっとも大きな物体の運動も、またもっとも軽い原子の運動をも同一の方程式のもとに取り入れるであろう。この知性にとって不確かなものは何ひとつないであろうし、その目には未来も過去も同様に浮かぶことであろう。天文学に完全性を与えることができた人間の精神は、この知性が何たるかをおぼろげながらに示しているのだ。

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物理学と数学

マリオ・リヴィオ 『神は数学者か?』 p164

ニュートンは4%程度もばらつきのある観測や実験から、100万分の1の精度を上回る重力法則を築き上げた。彼は史上初めて、自然現象の説明と観測結果の持つ予測能力を統合したのである。物理学と数学は永久に結びつき、科学と哲学の分離は避けられなくなった。

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巧妙な思考実験

マリオ・リヴィオ 『神は数学者か?』 p70

一方、数学や実験を重視していたガリレオ・ガリレイ(1565〜1642)は、落下するレンガやリンゴの“うれしさ”などという議論には納得せず、初めてアリストテレスの完全な誤りを突いた。彼は巧妙な思考実験を用いて、アリストテレスの法則の論理的な矛盾を指摘し、それが理に適っていないことを証明した。彼の論旨はこうである。ふたつの物体をひもで結わえたとしよう。一方の物体はもう一方よりも重いとする。すると、ひもで結わえた物体の落下速度は、各々の物体の落下速度と比べてどうなるのか? アリストテレスの法則に従えば、ふたつの物体の中間の速度で落下することになる。なぜなら、軽い物体によって、重い物体の落下速度が弱められるからだ。しかし、ひもで結わえた物体は、各々の物体よりも重いゆえ、重い方の物体よりも速く落下するはずである。したがって、明らかな矛盾が生ずる。

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名画で読み解く イギリス王家12の物語

名画で読み解く イギリス王家12の物語
中野京子
光文社

イギリス王家の歴史をサラッと学べた.名画は正直おまけで,分かりやすい解説が重要だった.同様の作品が何作も出版されているそうなので,読み進めようかと思う.

内容紹介:
たった9日間の王女ジェーン・グレイ
邪魔者を力ずくで排除し続けたヘンリー八世
生涯独身を貫いたエリザベス一世 

「名画」を読み解けば、歴史も、絵画も、人間もわかる。
累計17万部突破のベストセラーシリーズ、最新作! 

王家が転変する度に途轍もない人物が生まれ、ドラマが生まれるのが英国史の面白さといえる。また大国でいまだ王室を戴いているのはイギリスだけというのも興味が尽きない。
本書では、イギリス王室の三王朝、イングランド人によるテューダー家、スコットランド人によるステュアート家、ドイツ人によるハノーヴァ家とその変名の王家について、それぞれ名画にからめた歴史物語を繙いてゆきたい。
(序章より)
(Amazonより)

ソボカルティ

ボカルティというのはスマランの歴史文化保護地区(れきしぶんかほごちく)です。20世紀始めにプランワダナ王子(Pangeran Prangwadana)(ソロという町で貴族(きぞく)になった)とトマスカルステン(Thomas Karsten) (オランダ人の建設者)のアイデアによって建てられました。当時は民主化が行われ、以前はジャワの王宮の美術(びじゅつ)は貴族達だけに伝えられ、楽しまれていましたが、次第に民衆の間にも伝えられて、楽しむことができるようになりました。その後、スマランの市長とソロの貴族が会議を行い、結果ソボカルティという場所が生まれて、美術の組合(くみあい)所(ところ)になっています。

ソボカルティの目的は、人々、特に若い人たちにインドネシアの美術を紹介し、国の芸術(げいじゅつ)を促進(そくしん)することです。この場所は、西洋(せいよう)の演劇(えんげき)の舞台とジャワの演劇の舞台のデザインを組み合わせてデザインされています。カルステンのデザインの基本は、ジャワ人の観客がガムランを聞く時や影絵を見るときに、どうしたら快適(かいてき)に座ることができて、はっきりステージを見えるかを考えています。

スマラン人の多くは依然としてソボカルティがどこにあるのかまだ分かっていませんが、ソボカルティではたくさんの活動をやっています。例えば、子供たちのために伝統的(でんとうてき)なダンス演習やガムラン演習、影絵の人形、舞台を行っています。そこでは色んな講習もやっています。例えばバティックを作る講習や人形遣いになる講習、ジャワ語の司会の講習などやっています。

インドネシア

BUKIT JABAL KALIWUNGU

Kaliwunguは中央ジャワにある町です。この町にはイスラム寄宿学校がたくさんあるので、「Kota Santri」として知られています。その他に、この場所はBukit Jabalと呼ばれるな観光を提供しています。Kaliwunguのイスラム教徒の宗教崇拝者の墓ヘの巡礼旅行です。Sunan Katong の墓や、Kyai Asy’ariのなどがあります。

Astana Kuntul Layangはその墓の所で南の丘にあります。そこはお墓としてだけでなく、観光地でもあります。ここに来たら、Kaliwunguの都市公園の景色を見ることができます。このお墓には五つの部分があります。最初の部分はSunan Katongの墓です。Sunan KatongはKaliwunguの一番古い宗教者です。2番目の部分は屋根付きの建物で、MusyafakとRukyatとMustofaga学者の墓があります。3番目のPuger王子とMandurorejoとAsy’ari学者の墓があります。そして、4番目はPakuwojoの墓と5番目はDjoeminah王子とKaliwunguの市長の墓です。

には、Juminahは西暦111のSunan Katongの、1626年頃(ねんごろ)にKaliwunguにました。Juminahはイスラームのを継続(けいぞく)するためと、Sunan KatongとKyai Guruのいを続(つづ)けるためにKaliwunguにまし、その時(とき)、Protomulyoはまだジャングルでした。Juminahは、をPurboyo、Sumenep、Adipati Madiunをむ友人(ゆうじん)の助(たす)けを借(か)りて若(わか)いしました。それ、イスラム教(きょう)の普及(ふきゅう)は、イスラム教(きょう)の宗教(しゅうきょう)を研究(けんきゅう)するためのpadepokanをすることから始(はじ)まりました。それから、Juminahは、Kendal、にKaliwunguのコミュニティに非常(ひじょう)に繋(つな)がっています。当時彼(とうじかれ)の系統(けいとう)からKendalののリーダーを誕生(たんじょう)させたため、彼(かれ)の中央政府(ちゅうおうせいふ)は依然(いぜん)としてKaliwunguにいました。

イスラム教(きょう)は月(つき)と年(とし)の名前(なまえ)が月(つき)と年(とし)の名前(なまえ)とは一般的(いっぱんてき)に異(こと)なります。そのうちの1つはSyawalのです。Syawalというのは一ヶ月の断食が明けた大祭のことで、Idul Fitri とも言われています。8目のSyawalにはSyawalanの日と呼ばれ、Khoirul Ulama Kaliwunguの死を記念する大切な日です。SyawalanはIdul Fitriの7日の後が行われました。Syawalanのお祝いに合わせて、Kaliwunguだけでなく、町外からも数千人の巡礼者がやってきます。

は5キロいて墓地(ぼち)まで歩(ある)いていくことを喜(よろこ)んでいます。何千人(なんぜんにん)もの住民が墓地に集まって入るのを待ちます。群衆(ぐんしゅう)したくない人(ひと)にとって、人々(ひとびと)は墓(はか)の複合体(ふくごうたい)の外(そと)に座(すわ)って祈(いの)ります。それにしてもこのところは、娯楽(ごらく)、衣類(いるい)、陶器(とうき)から作(つく)られた様々(さまざま)な製品(せいひん)などの売(う)り手(て)によって満(み)たされています。宗教的(しゅうきょうてき)な魅力(みりょく)の発展(はってん)を維持(いじ)することに加(くわ)えて、Jawaのを保(たも)ち続(つづ)けることも期待(きたい)されています。

インドネシア

BENTENG PENDEM

BENTENG PENDEM と言うのは、何ですか?歴史のことですか?怖いところとか珍しい観光地ですか?

BENTENG PENDEM と言うのは、中部ジャワのAmbarawaにあるエキゾチクな歴史文化保護地区のことです。PENDEMはジャワ語です。その言葉の意味は、「土の中に埋まる」。名前どおり、BENTENG PENDEMは昔、土の中に埋まっていました。実は、BENTENG PENDEMは公開(こうかい)されている観光地ではありませんが、写真を撮りに来る人々がたくさんいます。

BENTENG PENDEMは第二次(だいにじ)世界大戦(せかいたいせん)の時に残された建物です。その当時、BENTENG PENDEMは捕虜のいるところでしたが、今はAMBARAWAにある刑務所と自衛隊の官舎として使われています。この建物は二階建て、古いオランダの建物です。しかし、二階に行くことはできません。なぜなら、古い建物なので、倒れる可能性があるからです。

ルールを守らない人々のせいで、BENTENG PENDEMは、二年程、閉鎖されたことがあります。

古い建物ですから、怖い感じするかもしれませんが、建物の一部に住んでいる人がいるので、恐怖感はありません。

皆さんはBENTENG PENDEMへ行きたかったら、朝や昼に来るのがおすすめですよ。空気が爽やかだからです。そして、人があまり来ないので、写真を自由に撮ることはできますが、禁止されているところではいけないですよ。駐車券には入場料が含まれているので、バイク1台、5000ルピアです。とても安いですね。

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