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少数派として生きる覚悟

里親研修で座学を受けていた時、あるプレゼンの1ページにこんなことが書かれていました。

「(里親になるものは)少数派として生きていく覚悟が必要」

これを見たとき、なるほどと思うと同時に、すごいことを簡単に言うなとも思いました。里親になろうとする人がみんな、少数派になる覚悟を決めた上で申し込むかなぁと。とくに日本のような社会で、少数派として生きていくのは簡単なことではありません。
どれほどのしんどさを伴うものなのか、分かって書いてるのかな、児童相談所。

ただ、真理ではあります。

つばさが成長して、今の自分でいいんだと確信を(少なくともある程度は)持ちながら生きていくためには、少数派である自分を受け入れることが必要でしょう。

私は、つばさのような環境で育ってきたわけではないけど、少数派といえば少数派な生き方をしてきたのかも知れないと思います。一応、学校を出て就職して、それなりに真面目に働いて、それなりにお給料をもらえているという意味では、一般的な社会人なのかも知れない。健康体で、異性が好きだし、そういうのも、世の多数派に属しています。

でも、どことなく他人とは異質な自分を感じながら生きてきました。私の時代の女性にしては自我が強すぎたのかも知れません。自分の意見がはっきりしすぎて、そういうことを求められていない場所ではできるだけ隠すようにしていました。それでもすぐにボロが出て、かわいくない女、というふうに周りから見られると落ち込みました。どうして自分はもっとほんわかした、従順な、かわいらしい女になれないのかしらとずっと考えていました。そういう自分をようやく受け容れられたのは、40歳を過ぎてからです。

親がそういう私を認めてくれていたら、こういう苦しい思いは減ったのかも知れないと思う一方、自分の意見しか信じない、鼻持ちならない女になったかも知れないという気もするので(笑)親が「女性は慎ましいもの、女の幸せは結婚と出産」という古い価値観を持っていたことは、私にはプラマイゼロだったかなと思います。

つばさがこの先遭遇する少数派としての人生は、私のものとはまた違っているでしょう。それでも、周りの人と一緒ではない、という疎外感や孤独感、不安や焦りも含めて、その感情は似ているのではないかと思います。

私にできることは、つばさがそういう思いを持った時に大丈夫だよと言ってあげること、それから、「周りのすることに合わせておけば、とりあえず安心」というような価値観を持たせないことだと思っています。

なので、つばさが「みんながやってるから」とか、「○○ちゃんがやってるから」というような言い訳をする時には、「それは理由にならない」ということをクドく言います(笑)

まだ小学1年生ではありますが、自分の行動は自分で検証して、納得して行動してほしい。ちゃんと自分の中で納得、消化して、取るべき行動を決めてほしい。

とても難しいことではありますが、そこを超えないと本当の精神の安定はやってこないと思うからです。

養育里親

お父さん、お母さんではない存在

うちの子(電車が好きで、新幹線つばさのプラレールを一番気に入っているので、つばさと呼びます)、つばさは、私達のことを名前で「○○さん、××さん」と呼びます。

これについては児童相談所の人と何度も話し合いました。子供には決められないだろうから、お父さんお母さんと呼びなさいと最初から言うのもアリ。でも、元のお父さんお母さんに思い入れが強ければ名前呼びのほうが子供は抵抗がないだろうし、とか。

つばさはお母さんを亡くしたばかりで、きっとその印象が強いから、別の人をママとは呼びにくいのかなと思うこともあれば、それはそれ、これはこれで切り分けて考えているふうなときもあり、とても判断に迷いました。結局、あえてどちらとも決めずにしばらく様子を見守ることにしました。
私はなんとなく、お母さんと呼んでもらえるものと思っていたので、数ヵ月後の後、つばさが私達を名前呼びすることに決めたらしいと察したときはちょっと残念でした。なんだかよそよそしい気がしてしまって。

夫は抵抗がなかったみたいです。むしろ、お父さんと呼ばれるほうが違和感があったみたい。今の関係は「親子じゃないな。師弟関係っていうのが一番近いかな」と言います。
私も、考えてみれば、じゃあつばさを息子と思って接してるか?と聞かれれば、思っていないです。この先、一緒にいる時間を重ねていけば変わってくるのかもしれないけど、今の時点では、私達は、同じ屋根の下で暮らす三人の他人です。

そう言うと誤解を招きそうだけど、私達三人は仲が悪いわけではないです。むしろ、みんなよく喋るし、よく笑うし、仲がいいほうだと思います。でも、他人。つばさもきっと、本能でそう感じたから、名前呼びにしてるんじゃないかと思います。

他人だからこそのいいことがあります。気を遣うということです。他人だからこそ、気を遣う。つばさが安心して暮らせるよう、自信の持てる大人になれるよう、気を遣って育てています。この間は寝不足にも関わらず、マフラーなんか編んでしまいました。マフラー編んであげようか、と言ったらとても喜んだので。これは、「君は大事にされてるよ、気にかけてもらってるんだよ」という具体的なメッセージが伝わればと思ってやったことで、そんなことを伝える必要のない実子だったらしなかったかもしれません。

気を遣って過ごす毎日はとても疲れます。自分の家に常にいる誰かを、自分の一部と思わずに他人と意識しながら暮らすって、実はすごく精神的に疲れることなのかも知れません。でも、私にはそれが自然の成り行きでした。とても不自然な状態だけど、自然な成り行きだったって、なんか矛盾してるけど。

疲れるとついつい現実逃避してしまうのですが、それも、初期にくらべれば減ってきたと思います。最初の頃のつばさは何でも一番じゃないと気が済まなくて不機嫌になるくせに、一方では自分は最低最悪のクズ人間みたいなことを言い散らかすみたいな、精神状態の乱高下が激しくて、こちらもついていくのが大変でした。でも最近はそういうのがだいぶ減って、日に日に安心して、落ち着いてきてるのが分かります。小学校の高学年になっていろいろ見えてきたら、また難しいのかも知れませんが、しばらくはこれで大体いけそうだな、という気がしています(油断禁物ですが!)

考えれば私達夫婦の関係もそうで、お互い、気を遣っています。だからこそ、うまく行っていると思います。してみると、私の人との付き合い方っていうのは基本、そうなのかも知れません。

私にとってつばさは、小さな同志だと思います。このクレイジーな世界を一緒に行きぬいていく仲間。自分を生んでくれた親に愛されて育ってみてさえ、この世界で生きていくことは難しい。だったら、最初の最初で大きなハンデを背負ってしまったつばさは、きっともっと大変だろう。だから、それを少しでも和らげてあげられたらいいなと思います。こんなこと、人によっては、小難しい理屈っぽいこと言ってるって思うんでしょうが。

いつか、会社の関係の人たち(50~60代の男性数人)と飲んだときにこの話をしたら、みんなとても感心して聞いてくれたんですが、何となく、リアクションのトーンが、「そんなにまでして母親になりたかったんだね(かわいそうに)」みたいな感じだったのであれ?と思って。私、母性本能に翻弄された哀れな女なのかしら?って。まあいいか、と思ってあえて反論もしなかったですが、本当は、やっぱりちょっと違うなと思っています。

養育里親

里子の限界

今日は里親同士のランチ会でした。

みんな子供を連れて来てました。2才から10才くらいまでかな。もう少し大きくなると、自分で行動し始めるので、こういう集まりに来る子供たちは小学校低学年くらいまでみたいです。うちの子もはよ一人で行動してくれんかしら。^^;

里親さんの中で一人、お子さんが不登校になっているという人がいました。里子に預けられる時はその子の知能指数(あくまで目安ではありますが)を教えてもらえるのですが、里子の中には知能指数が高くない子も多くて、その中ではその子は人並みの、っていうのも変な言い方なのですが、一応そういう数値が出てて、でも他の問題があって学校には支援級で入って、で、ある学年の夏休み明けから不登校になってしまったらしいです。

もちろん、実子であっても不登校になる子はいると思うのですが、その話を聞いてなんかへこんだというか。里子の限界というものがあるのかな?と思ってしまいました。やっぱりそういう話、里子ではよく聞くので。私たちがいくら頑張ってみても、子供に無気力の虫が取り憑いたらどうしようもないのか。複雑な家庭環境で育ってしまった子供は、どうしてもそうなりやすいのか。里親の愛情はそこに何の変化も起こせないのか。子供が不登校になってしまった時、私はそれを受け入れられるんだろうか?

私は働かざるもの食うべからず、と思っているので、働かない人の気持ちが分からないし、受け入れたくないんですよね。うちの子は今小学校1年生なので、勉強らしい勉強もしていないけど、それでも勉強が嫌いとはしょっちゅう言ってるし、興味もないみたい。まあ、勉強の面白さが分からないとやる気も起きないのかとは思いますが。

勉強は確かに嫌だけど、学ぶことの面白さっていうのは確実にあるんだよな。それを分かってほしいなと思いますが。なかなか、小学校1年生じゃどうしようもないのかな。親があちこち連れて行って、社会のあれこれに興味を持たせようと努力することは徒労ではないのかなあ。なんか、そういうことすべて、無駄って宣告されたような気もしてしまって。

今から悩んでもしょうがないことではあるのですが。

里子

Diary - Vượt cạn

Vào lúc 10:40 sáng ngày 11/1, Yuzu bé bỏng của gia đình mình đã oe oe khóc chào đời.
Nghe mẹ Thi nói, sau khi chứng kiến Yuzu chào đời, Tsu đã ra ôm chầm lấy mẹ Thi rồi khóc nức nở. さらに1,366語

Mỳchay's Diary

委託4ヶ月経過

また随分ほったらかしてしまいました。

主人もね、里子についてブログ開設したのです。結構なペースでアップしてるのでアクセスも多いらしくて、負けるか!(何が?)とばかりに私も書こうとしたんですが、なかなか・・・

毎日疲れてしまって。ブログ書く気力が残ってない。

前回の頃に比べたら、だいぶマシにはなりました。向こうも慣れてきたんだと思います。一緒にいても、以前ほどの息苦しさはない。むしろ仲は良いと思います。素直に可愛いと思う時もあるし、里親と里子の仲良くなる過程が一般的にどんなものか知りませんが、でもうちはスムーズに進んでいる方だろうという自覚はあります。最初のころ悩まされた、関係ないお友達に石投げたりみたいな奇行も、すっかりなくなりました。

ただ、じゃあずっといれるかと言われれば、無理で。

しょっちゅう逃亡します。

私の逃亡は24時間以内で家を空けること、ただし夜を挟む。

なので夕方家を出て、ビジホかゲストハウスに泊まって、次の日の昼過ぎくらいに帰る。なんのために、と言われるかも知れませんが、

子供と離れたい (ToT)

そうしないと自分の精神が持たない。子供が夜に咳をするだけでも、気になって目が覚めてしまい眠れないとか。子供の一挙手一投足、気にしないようにしようと思っても、どうしても気になってしまう。

それから、子供ってくだらないことを山のように言いますよね。まだ大人と対等に話せるほどの知識はないけど、数字だけは分かるから、ねえ何十秒?100秒?1000億秒?マイナス370秒?みたいな、例えば。いま(体温)何度?30度?10度?1000度?とか。こっちが答えてるのにも関わらず意味のない数字を並べては聞いて来るとか。数字以外でも、しょうもないことを本当に、朝から晩まで喋ります。

適当に流せばいいのかも知れませんが、私はどうしてもそれができず、いちいち真面目に返してしまうのです。これは性格かも知れないし、通訳をやるのでそのクセもあるのだと思いますが、全部聞き取って返さなきゃならない気がしてしまうのです。一日子供とそんな感じで会話してたら、夜にはもうすっかり疲れています。主人がいればまだいいですが、子供と一対一だときつい。離れたいと思ってしまいます。

有職主婦で里子を迎えるというのは、事前に分かっていた事ではありますが、やはり体力的精神的にかなり追い詰められます。里子を迎えるなら、どちらかの実家が近くにあって、困った時に頼れるのがいいと思います。多分、精神的に大きな差があると思うので。私たちは実家がどちらも遠いから、頼れるのはお互いしかいなくて、しんどい時があります。二人だけでお出かけとか、まず不可能ですから。子供が寝た後、徒歩5分のコンビニまで出かけて夜食を買うのがせいぜい。二人だけでレストランで食事とか夢のまた夢ですよ。

自分の時間をほとんど子供に取られてしまうから、Facebookに書くことも子供のことばかりになってきた。好きじゃないんですよねほんとは。知り合いがこれやると、私はいつも

「私が興味あるのはアナタであって、アナタの子供じゃないんすけどね」

って思っちゃう方だったので。自分がそうなってみると分かりますけど、別に子ども自慢したい訳でもなくて、ただ自分の生活にそれ以外の要素がなくなってしまうだけなんだって。

それでもやっぱり、嫌だけどね。子供の話ばっかりする人。で、結果的にFacebookあまり更新しなくなっちゃうみたいな。

そういえば子供のおかげで12月は有休が消し飛んだ。まず胃腸炎で6日寝込み、その後で学級閉鎖が3日間(学校でインフルが流行したせい、うちの子はこの時は元気だったけど)、その後また原因不明の熱を出し金曜の夜から日曜の朝まで39度台でウンウン唸ってました。それも終わり、冬休みに入ったかと思ったらついにインフル発症。3日で熱は引いたけど、発症後5日は外出禁止ってルールになってるらしくて、また夫婦で有休リレー。

精神的な疲れもあると思います。学校では気を張っていると思うし、まだいいお友達もできてないみたいなので。転入当初に比べたらそれでも、クラスの子の一部とはだいぶ打ち解けてきたみたいだけど、放課後に預けてる学童保育でいじめてくる子がいるみたい。たまに私も仕事休んで学童にボランティアで行って子供の様子見たりしてますが、いじめっ子といっても一年生同士だし、仲良く遊んでる時もあるので、目くじら立てることもないかなと思って見ています。そのいじめっ子も家庭が複雑らしいので、ちょっと可哀想な気もする。実の両親でも難しい環境ってあるよね、当然だけど。

ただうちの子的にはしんどいこともあるのでしょう。それも分かるので彼も可哀想なのですが、今は家庭の中でできるだけ彼を受け止めてあげて、愛情をあげることしかできないかなと思います。学校生活のことは、究極的には、我々に手出しできることじゃないから、心配しても仕方ないですよと児相の担当の方からも言われました。

(児相の方は委託後も定期的に様子を見にきてくれています。他の里親さんがどう接しておられるのか知らないけど、うちは児相の人たちとはかなり友好的にお付き合いしてます。私も仕事してて、組織に属する人間に出来ることと出来ないことっていうのが分かるので、あまり児相に多くを求めてないのがいいのかも)

なんだか全然まとまってない記事ですみません。里親会のこととかも書きたいけど、エネルギーなくなっちゃったので、今日はこの辺で。子供からインフルをうつされるという最悪事態は回避したけど、タチの悪い風邪を引き、喉の痛みと咳に今も苦しんでおります。皆様もご自愛くださいませ。

里子

スリープトレーニング

日本語で検索すると「ねんねトレーニング」なんていう言葉もありましたが、私は現在ロンドンで子育てをして、日常では英語のままスリープトレーニングと言っています。

もう8ヶ月を過ぎた娘ですが、これまで夜寝付いてから、朝まで起きずに寝たことが1度もありません。ベッドルームが大きいので、娘のベットは私達の寝室に置いています。
(一部では、スリープトレーニングは子供のベッドは別室にしないと意味をなさないという事を見かけたことがありますが、沢山のスリープトレーニングのやり方があるので余り気にせずに。)

新生児の時は、1度にあまりミルクを飲まなく(120mlが適量の月齢から、かれこれ5ヶ月頃迄、120mlも一度に飲めなかった)いつもチビチビ飲む子でした。そのせいか、授乳は2時間おき。

けれども、3ヶ月くらいまでは、夜3回起きるくらいで、授乳後すぐに眠りにもどりました。(ちなみに、私は母乳・ミルク混合でしたが8割、9割以上は母乳でした)
けれども、5ヶ月くらいに入る頃から所謂夜泣きが始まり、現在は、既に3食離乳食を食べているので、空腹で起きることはないと思うのですが、どうも添い寝・添い乳が癖になっているようで、眠りが浅く頻繁に起きます。

6ヶ月過ぎ、クリブというベビーベット(3、4歳ころまで使用できる)に移しました。
けれども、やはりママが近くにいないと眠れない。おっぱいが恋しい。などを理由に頻繁に起きてしまいます。

勿論、多くの日本人家庭のように、添い寝・添い乳をして眠ることも可能でしたが、
これではイケナイ! と決心しスリープトレーニングをしました。

というのも、兎に角、8ヶ月以上きちんとした睡眠を取っていないので、私も相当な寝不足。その為、疲労蓄積で、数回ほど、朝起きてめまいと吐き気、または殆ど毎日、朝「もっと寝たい」と思うか
「疲れた」というのが朝の第一声でした。

そしてもう一つの理由は、同じ週に産まれたママ友の娘たちは、ふたりとも問題なく寝ているからです。やはり、欧米のママたちの考え方は違うので、きちんとスリープトレーニングしていたのでしょう。または、子供の性質の違いともいうのでしょうか。

その2つの理由で、主人と何度かスリープトレーニングを試してみました。

しかし、現在のところ結果は付いてこない。

私達の目的は朝までぐっすり寝てくれることです。

5ヶ月頃に1週間試し、最高5時間寝ることになりました。ただ、旅行などの環境の変化や子供の成長過程により、そう簡単に結果は定着しません。

そして7ヶ月~8ヶ月にかけて、2週間主人が主体で試しましたが、とにかくママと離れるのが嫌なのか、ママに寝る前に会えないのが嫌で不安なのか、30分から1時間置きに起きるように、悪化し、最悪の状況でした。

そこで、思ったのが、大人だって心配事、悩み事があると眠りが浅く、夜中に何度も目を覚ましてしまいます。

それと同じだ!と思い、数日間のトレーニング休憩を設けて、私が主体でトレーニングを再開しました。最初の2、3日は大泣きでしたが、数日も経たないうちに、夜は一人で寝られるようになりました。

一昨日、約7時間近く起きずに寝たのが奇跡的な記録。そんなところです。

またスリープトレーニングに関しては、娘が朝まで寝るようになるまでの道のりを、共有致しますね。

子育て

夏の終わりに

夏の終わりにひまわりを買ってみました。息子にしおれる間際のひまわりを見せると花びら一つひとつつまんで取り、瓶に入れ始めました。そして、公園で拾って来た枝を持って来て、まぜまぜまぜ。

こちらは公園で拾って来たどんぐりと木の実。お皿に並べて、もぐもぐもぐ。

特に私が指示したわけでもないのに、自発的に遊び始める。私はただそこにいるだけ。危険なことがない限り、できるだけ見守るようにしています。でも、この見守りが結構忍耐力がいる。どうしても、口や手が出てしまうこともあります。日々、修行中!

つれづれ