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親行との出会い

「あなたは、親をしてないわ!ペアレンティングのクラス、申し込み期限は終わってしまったけど、入れるように手配するから受けなさい。通常、私はこんな言い方はしないのよ。サジェスチョンをするんだけど。ごめんなさ、あなたの状況はあまりにもひどいわ。」

子供の登園2日目で担任の先生から言われた言葉です。私には、とっても心当たりがあったので、「はい。わかりました。」とお答えしました。

当時、私はアメリカのアーバインと言うところに住んでいました。

近所の保育園に子供を預けると、担任の先生が、「この子は他の子どもとちょっと違うけど、特別支援の教育を受けるとずっと伸びる子だわ!」

そう言われて、近所の小学校にスクリーニングを受けるために子供を連れて行きました。

「確かに言語的な助け以上の教育がひつようだわ。」とセラピストさんは、子供のスクリーニングの結果を見ながら呟きました。

当時、住んでいたところから歩いて行ける場所に、その特別支援幼稚園はありました。

スモークツリー特別支援幼稚園

子供を連れて行くと、先生がにっこり笑って出てきました。

ベテランの先生の表情や話術(?)で、英語が分からない子供もすぐに引き込まれて行ってクラスメイトの輪に入っていきました。

子供が大丈夫そうだったので、幼稚園が終わる時間に子供のお迎えに行きました。幼稚園の前に、日本のテレビでもお馴染みの黄色いスクールバスが何台も並びました。子供たちは、自分たちが乗るバスのグループに分かれて整列し始めていました。私の子どもは、バスのアイドリングの音と、それに負けじと声を張り上げる先生方の声で興奮してくるくる走り回り始めました。お迎えの車も入ってくるし、とても危ない状況でしたが、子供は私がいくら注意しようが吠えようが全く相手にしていませんでした。捕まえれば、噛みついたり自由の為に自分の体を知恵を駆使して反抗してきました。

見るに見かねた担任の先生が現れて、子供を両腕を捕まえて芝生の上に寝かせました。子供は先生に噛みつこうとしたり、足でけろうとしたり、大暴れ。しかし、先生は手慣れたもの。子供が落ち着くまで、そのままじっとしていました。

冒頭の先生の言葉は、その時の言葉です。

当時、私は子育てに疲れ切っていました。子供が2人いるのですが、当時、質は違いましたが2人ともこうだったのです。

これが、私のペアレンティング教室と出会うきっかけです。私の子育てはペアレンティング教室と出会うことで、天変地異が起きたかの如く子育てに対しての考え方が変わっていきました。

砂遊び

あぁ〜、また久々の更新になってしまいましたー!みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

先日、2歳の息子と砂遊びをしているときに思い出したこと。以前働いていた病院で砂遊びが大好きな子どもがいました。しかし、衛生面&感染対策のため、外の砂を使用することはできませんでした。なので、本物の砂ではなく、抗菌加工してある特殊な室内用の砂で遊びました。その子は入院する前にきょうだいとよく砂場でおままごとをしていたらしく、プリンやおだんご、おにぎりやハンバーグ、などなど、きょうだいと一緒に作ったものをたくさん作ってみせてくれました。公園でもなく、本物の砂でもない、大好きなきょうだいと一緒に遊ぶこともできない、などなど、入院する前とは環境も状況も全然違ったけれど、「砂遊び」をすることで、少しでも「今までやっていたことができることもある」と思ってくれていたらいいなと思いました。

もし興味があれば、「室内で遊べる砂」で検索かけてみてください!

チャイルド・ライフ

12年間の保育園生活が終わった

2006年4月に0歳の長男が入園して以来、12年間に渡って続いてきた保育園通いが終わった。四男の卒園式は先週の土曜日だったのだけど、卒園式以降の平日にも登園を続けていて、3/30(金)が最後の登園となった。普段は登園やお迎えは夫婦のどちらかが担当することになっているが、最後の日は登園には夫婦揃って、お迎えは上のお兄ちゃんたち3人も連れて家族揃って行った。

2006年の長男の入園当時は、国立市でも別のところに住んでいて、徒歩圏内の公立保育園に通っていた。徒歩圏内とはいえ、駅とは反対方向だったので、バギーかおんぶ紐で登園して、一度家に戻って荷物を置いてから通勤の電車に乗っていたと思う。2007年に引越しをして、登園には車を使うようになった。9月に二男が生まれ、2008年に長男と同じ保育園に入れてもらえた。

長男のクラスで知り合ったママ友に助産師さんがいて、三男の誕生を担当してくれた。2010年に三男も保育園に入り、長男と四男の入れ替えも含めると3人が保育園に通うという状態が4年間続くことになる。

2011年3月の東日本大震災の時には、保育園のホールに集合してお迎えを待っていたらしい。私は電車が止まってしまい帰宅困難になっていたのだが、当時立川勤務だった妻が歩いて迎えに行ってくれた。9月には四男が生まれた。三男と同じ助産師さんの勤務先の病院で出産したのだが、家族揃って立ち会って、お祭りみたいな雰囲気だった。妻は自分で、よっこらせ、と四男をとりあげた。

2012年、長男の小学校入学と四男の入園にあわせて、保育園を転園した。同じ国立市内の公立保育園への転園だったため、同じタイミングで同じ保育園に異動となった先生方もいらして、転園の不安を軽くしてくれた。

この年は自身もインフルエンザに罹ったり、子供たちも順番に熱を出して休んだりして大変だった。

ここ一か月ほどの子供たちの発熱状況。妻が育休中でよかった。 http://t.co/Sn8HUj6H
AKANE Daigo (赤根 大吾) (@dgakane) April 13, 2012

↑このツイートは妻の育休中(おそらく4月中旬くらいまで)。

四男は平熱が高いのか、平素から37度を超えていることが良くあり、「普段から熱が高いけど問題ありません」的な書類をかかりつけ医で書いてもらって保育園に出したことがある。

また、完全母乳で育った四男は、保育園で哺乳瓶でミルクが飲めず、抵抗して先生方に大変苦労をかけた。結局、保育園では離乳食まで殆ど口にせず、どんだけ頑固やねん。離乳食以降は、ガツガツ食べるようになりました。

この時期は、学童と保育園の2箇所をお迎えに行く必要があり、閉まる時間の早い(18:00)学童のお迎えに行ってから、保育園(18:15)のお迎えに行っていた。保育園の前のお肉屋さんの焼き鳥をよく買った。

この保育園では夏祭りの時に近所の自治会から和太鼓を借りていた。音楽できるんでしょ、ということで、夏祭りではこの和太鼓を担当するのが恒例となった。

そのうち、いろいろ諸事情で、保育園が徒歩圏内に移転してくれたので、送り迎えは大変楽になった。

2016年には小学4年生、小学2年生、年長、年少という組み合わせになって、学童から退所となった長男が、17時に二男を学童に迎えに行くようになり、学童のお迎えからは解放された。保育園のお迎えは、中学以上の家族でないとダメとのことで、うちの場合は保育園のお迎えに長男を利用(笑)することはできなかった。

二男が卒園した後くらいだと思うのだけれど、妻が立川から大宮に転勤となり、夫婦揃って最速でも帰宅が19時前後となった。(まあ、私はフレックスだけど、毎日早く帰るわけにはいかないので。)三男と四男は、特例延長保育の枠を最大限に使って、7:15から19:15の12時間を保育園で過ごした。

12年間のうち、前半6年と後半6年は違う保育園に通ったわけだけど、やはりちょっと地域性みたなのは異なっていた。どちらが良い悪いの話ではなくて、雰囲気が違うというか。それ以上に、同じ保育園でもクラスごとに園児・保護者の雰囲気は異なっていた。

通った2園ともに公立保育園だからかもしれないけれど、保護者会の活動も活発で、クラス交流会や夏祭り、卒園のイベントなどの父母の役割も大きかった。まあ、この辺りは殆ど妻に任せ切りで、妻から「クラス交流会で歌を歌って」「夏祭りで太鼓叩いて」「卒園のイベントで音響やって」などの司令に従っていただけだけど。

これも公立保育園ということもあってか、ベテランの先生も多かった。親子二世代に渡って同じ先生にお世話になってます、という保護者もいた。それだけに保育に対する確固たる信念のようなものがあり、たとえば、国立市の公立保育園は劇の発表会などでの保護者による撮影が原則としてできない。(最近、うちの保育園では保護者会による代表の撮影は認められるようになった。)撮影に気を取られことなく、五感で子供達の発表に集中して、リアクションを返してあげて欲しいという理由だったと思う。これについては、保護者の間でも賛否両論というか、殆どの保護者は撮影慕って良いじゃない、離れた祖父母にも見せたいし、という心情だと思うのだが、このようなポリシーを貫くことができるのも、長年の保育に対する哲学があってのことだろう。何はともあれ、先生たちはみんな保育のプロで、粘り強く子供達の話を聞いて気持ちを変えるのが上手く、保護者とのやりとりや行事を含めた日々の保育に大変な労力を割いてくれていた。

保育園の先生方、大変お世話になりました。一緒に保育園に通った友達やママ友パパ友、みんな元気でね。

4月からは中学生1人と小学生が3人。保育園児が一人もいない家庭なんて久しぶり。それなりに大きな節目ということで。

Diary

住んでいる町

私たちが住んでいるのは、都内近郊の、どっちかというとダサい町です。

治安も、どっちかというと悪いです。

今、どっちかというと、と書きましたが、人によると、「とても」という言い方をするかもしれません(笑)
わりと最近も、テレビでニュースになるくらいの事件はいくつか起きていますし。

私たちはその町で家を買いました。もっとも、つばさが来る前のことで、里親のことも具体的には考えてなかった時期です。その町の名前をいうと、愛想笑いで流されることが8割(まぁほんとに気にしていない人もいると思うけど)。中には

「なんでよりによって、そんなとこに家を買ったの?」

と、正気じゃないみたいな顔で質問されたりします。
私も夫も、西日本出身なのでピンと来ないのですが、どうも、住む町のランクというのがあるんですね。中の上くらいの生活レベルと人付き合いをするなら○○とか××に住むものだ、みたいな感じですか。

私もおしゃれな町は好きですが、何が何でもそういう町に住むんだというくらいの情熱はなかったので、私も夫も通勤しやすいというだけの理由で今の町を選びました。

ださい町のよさは、焦ってない、取り繕ってないというとこなんですが。たとえば昼間から公園で、しょぼくれた感じのおじさんがブランコに腰かけて缶ビール飲んでるというような土地柄ですw
そういう人でものんびり暮らせてるって、まぁいいんじゃないかと思ったのです。人によっては「治安が」と心配になるんだと思うんですが。

それにしてもこの町、見れば見るほどおしゃれなものがないんだよね~。

たまにおしゃれカフェみたいなのが頑張って出来たかと思うと、半年くらいで消えてしまう。
駅ビルに入ってたおしゃれレストランも、気付いたらサイゼリヤと王将に変わっているという衝撃(笑)

こんだけ人がいれば、一定数おしゃれ人間はいるはずなのに、不思議だなーとずっと思っていました。でも最近は思います。

・・・ほんとにこの町、おしゃれな人がいないのかも(汗)

子育てするのに最適な環境ではないのかも知れませんが、つばさのような境遇の場合、このくらいでちょうどいいのではと思っています。いきなり文京区とか田園調布とかに連れて行くっていうのも、元いた場所と違いすぎてどうなのかなという気もする(そんなとこの家が買えるかどうかは別として^^;)。

生みの親の元を離れることがまずは環境の激変なわけなので、住む場所はあまり変わらない場所がいいんじゃないかと思います。

それに、治安がいい町にも悪い町にも、いい人もいれば悪い人もいると思います。治安がいい、人気の町に住んで、子供を私立にやれば、輪切りのバームクーヘンみたいに同じような感覚の人同士でつるめて精神的にラクなのかも知れないんですが、私は多様性のなさが気になってしまう。多様性のなさが、不寛容につながると思うので。

こうやって書くと、私たち夫婦は、ほんとにひねくれ者ですね。

その他

早くして!ってよく言ってませんか?

早くして!遅れちゃう

早くして早くして!

これ、

よく言ってるのを聞きますし

つい言ってしまう言葉ですね

実際、こどもに

早くして!

と言ってこどもが早くなったことありますか?

もしかするとこどもはそれが頑張ってる早さなのかもしれないですよね

早くして!と言い過ぎて親がイライラしちゃってケンカになったりしてませんか?

私、早くして!はどうも苦手なんです

なので

急ごう!!!

あそこまで競争だ!

どっちが早いか競争しよう

こんな言葉に変えてます

そうすると

早くして! は

親からこどもに対して一方的な感じに聞こえますが

急ごう! にすると

親とこどもが一緒にしようという風に受け取れませんか?

(個人的な意見ですが…)

急ごうにするだけで

脅迫的なこともないし

一方的にイライラするのも減るし

こどもも焦ることが少なくなるだろうし

早くしたいなら言い方を変えてみませんか?

こどもって競争になると頑張ったりするので一度試してみてください

どっちが先に靴を履くか

誰が先に歯を磨くか

一番にお風呂に入るのは誰か

競争しましょう❗

きっとたのしくなりますよ

こども

うっかりかぁちゃんです

こんにちは

うっかりかぁちゃんです

自身の子育てあれこれ

日々の徒然から感じたことを書いていこうと思います

一人目の妊娠、出産、産後がそれはもう大変で辛かったのです

二人目を授かれるなら少しでも元気に健康に過ごしたい!

と思い、食事・生活の見直しをし、元気な妊婦生活を過ごし産後も元気に過ごしています

一人目で悩んだ母乳も二人目はよく出ました(現在進行形)

そんな体験談等を発信していこうと思います

どうぞよろしくお願いします

子育て,育児,育自,うっかりかぁちゃん

共働きで里親をするなら

私達夫婦はどちらも今住んでいる土地の地元民ではなく、どちらの実家も遠いので、子育ては夫婦ふたりにのしかかってきます。

里親希望で児相に研修に行っていた時も、「ご実家が近くにあると心理的にだいぶ楽ですけどね・・・」とは言われていました。
でも、どうしようもなく。そこの部分は変わらないまま、つばさを迎えたわけですが、今となってはやはり児相の言うことは正しかったなと思います。

私達のスペックは、

夫=会社員。勤務時間は9:00-17:00まで、職場はドアツードアで40分くらい。残業はそれほどないが、営業畑のため出張や接待が平均して1ヶ月に2~3回ある。

私=会社員。勤務時間は9:00-18:00まで、職場はドアツードアで1時間弱。残業はそれほどない。ほぼデスクワークで、出張は希望ベース。

これだけ見ると、日々の自由時間は多少夫のほうが多いんですが、家事の6~7割は私がしています。休みの日も、朝が弱い夫は昼まで寝ていて、私が起きてつばさの朝食を作ります(私も朝弱いので、朝食も9時くらいになっちゃうんですけど^^;)

公平かそうでないかといえば、公平でないと思います。ただ、その議論はやるだけ不毛だと思ってるので、できるだけ考えないようにしています。しんどいなーと思うこともあるし、心に余裕がなくなると夫に文句の一つも言いたくなります。ただ、今のところ、深刻な衝突をしたことはないです。夫もできる範囲では手伝ってくれてるし、もしかすると私が思っている以上にやってくれてる部分もあるかも知れないと思うので。

時間と心のやりくりが大事だと思います。

時間のやりくりは実子をもたれてるご夫婦でもきっと悩まれると思いますが、里子特有かなと思うことをあげるとすれば、つばさのことについて夫婦で話す時間が結構長い、ということでしょうか。
「学校の先生から電話あったよ」「勉強はこんなことやってるよ」「お友達の○○ちゃんとこういうことあったらしいよ」「学童の話」「宿題の話」という、一般の子供の話題に加えて、
「○×(元いた土地)に行きたいって言ってるんだよね」「実母さんのお墓のことなんだけどさ」「児相からの連絡」「措置費や請求の話」「つばさが18歳以降の話」「里親会の話」という、里子ならではの話。時々は、精神科医等の面談に児相につばさを連れて行く必要があります。今後実父さんとの面会も発生していくかも知れません。すべて、夫婦のどちらかが有休をとって対応しなくてはなりません。

つばさのためにどうするのがいいか。私達のためにはどういう道がいいか。私達夫婦はあーだこーだ喋るのが好きで、何の話題でも結構長くなります。これが、意外と日々の睡眠時間を削っていくのだな^^;

私はつばさのお迎えのために、上記の勤務時間を早いシフトに変えてもらっていて(子供が小学校に上がると、時短勤務とか子供の介護休暇とか、一切使えなくなるので、普通にフルタイムで勤務してます。時差勤務が可能なのがせめてもの救い、欲を言えばフレックスにしてほしい)、朝は6時起床なので、就寝が夜12時超えるときついです。でも、結構超えます^^;

なので、疲れたら無理せず、仮病つかってズル休みしてます。会社には悪いですが、まあ有休もあるし(こんなことするからギリギリだけど)、今の上司は理解ある人なので、急に有休取ったり朝の出勤が10分くらい遅れても何もいわず見守ってくれています。それでどうにかこうにか、この半年は乗り切っています。

そうやって考えると、親の助力が期待できない共働き夫婦の場合は、少なくとも
○ 夫婦とも、比較的残業が少ない会社であること
○ 夫婦とも、有休のとりやすい職場環境であること
○ 夫婦とも、上司の理解があること
というくらいの条件は必要かもしれません。

そして、疲れたり煮詰まったりしたら、逃げる勇気をもつことも大事だと思う。

私が出かけるとき、つばさはとても寂しそうにします。それを見てると後ろ髪がバリバリに引かれますが、そこで負けてはいけない。私がいなくなってしまえば、意外とけろっとして夫と遊んだりしてるから。自分がつぶれたら、全体がつぶれる。自分が楽することには罪悪感もありますが、そこは振り切って、出かけるようにしています。

里子の子育て