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硬水との戦い~Perpetual Battle with Hard Water #2

渡英してからというもの、硬水のおかげでガサガサの髪になったと前回お話しした。これは個人的な見解であって、髪の質によってはコシのある髪になって良かった、という人もいるので、そんなものかと流していただきたい。

そんなわけでイギリスでの私のヘアケア事情についてお話したいと思う。

硬水でパサパサになりがちな髪と戦っているのは何も私だけではない。多くの女性が水を柔らかくする器具を取り付けたり、酢やレモンを最後の濯ぎに使ったり、なんなら飲料用の軟水を使う人もいるのだ。なんとまぁ面倒な!

ちなみに、水に触れれば触れるほどパサパサになるので、現地の人は毎日髪を洗わない人も多い。子どもなど洗髪は1週間に1回でいい、と話すドクターもいるほどだ。

それを耳にしてからは、週1回ほどドライシャンプーにシフトしたら少し乾燥が改善。ドライシャンプーとは、「洗い過ぎないヘアケア法」で、日本でもミランダ・カーが実践する美容法として取り上げられていたのでご存知の方もいるだろう。専用のパウダースプレーで地肌の汚れや油分を押さえ、洗髪の負担を軽減する。

ドライシャンプーはいろんな香りや髪の色に合わせてパウダーの色も選べるので、ヨーロッパの硬水で髪がパサつき毎日シャンプーするのが傷みそうで辛い・・・とお悩みの方におすすめしたい。

そして海外の田舎に住んだなら、次は「どこで髪を切るか」という問題にぶち当たる。

女性にとってお気に入りの美容院とは、スタイリストの腕や相性、店の雰囲気など条件は人によって色々あるだろう。私も日本では納得できる美容院を見つけるまで、ずいぶん長い時間を費やした。そのお気に入りの美容院は今でも帰国すると必ず寄る大事な場所となっている。

そんな美容院探しだが、渡英前にイギリスの美容院事情について調べたところ、ロクな事が書かれていなかったのにも身構えた。日系美容院に行くことも考えたが、大都会ロンドンまでは、はるか遠い・・・。

まずは、意を決して地元の美容院に挑戦してみた。

多くの美容室ではカットのみの場合、基本的にシャンプーはない。私の行った美容院ではスプレーでチャチャッと髪を湿らし20分程でカット終了。最後は湿った髪にヘアアイロンをジューッと当て、終わり。

「これでどうかしら?」

直毛ではないがきっちり全方向直毛仕上げとなった。ボブなので、なんかクレオパトラ風。もちろん希望ではない。

何度か通い、こんな感じと写真を見せたり、なんとかニュアンスを伝えたがアジア人の髪とはこうあるもの、という固定観念でもあるのか、どうも素敵な仕上がりにはならず諦めた。

うーん・・・・・・。

次なる挑戦は、友人のおすすめで自宅で美容院を営むヘアスタイリストさんの元へ。真っ赤なショートヘアがファンキーでとても良い人だったのだが、自宅というプライベートな場所に美容院独特の心地良さは全く感じない。

仕事から帰宅したご主人が作業着のままお茶を出してくれたり、飼い猫や犬がウロウロしたりして、プライベート感がハンパない。

えーと・・・・・・。

加えて友人が言うには、クリスマスにはスタイリストにプレゼントやらお金やらを包まなければならないらしい。イギリスの美容院では普通に行われていることのようで、私はクリスマスには£20(3000円ほど)をプレゼント。別にサービスが良くなるわけでもない。

結局、彼女には悪いがここも行くのをやめた。

行かなくなった一番の理由はやっぱり日本人独特の髪質・骨格を見極めてカットすることができない、ということにつきる。どう伝えても、おしゃれなヘアスタイルから遠のいていくのだ。

だからと言って伸び放題のまま過ごすのも耐えられない。いっそ自分で切ってしまおうか・・・。一瞬ハサミを取ってはみたが、いやいや・・・無理だろうと断念。

いろいろ悩んだ末、友人らを集め交通費を人数分で割る方法でロンドンから日本人美容師さんに我が家に来てもらうことにした。イギリスでは自宅に美容師さんに来てもらいヘアカットする方も少なくない。「今日は家に美容師が来るから~」なんて会話も普通にある。

美容師さん側も店に雇われているよりも直接お金が入ってくるので、バイト感覚でそういう働き方をする人も多い。しかもロンドンにはワーキングホリデーなどを利用して働く日本人の美容師さんが多いのだ。


Photo by NASA Johnson

そう、家で髪を切るってこんな感じ。終わった後の掃除がものすごく大変というデメリットもあるが、家族全員一気に切ってもらえる便利さもあるし、しかも普通の美容院よりリーズナブル。

日本の友人に、

「今までどこで切ってたの?」と尋ねると

「地元の美容院か日本に帰国するまで我慢してた」

とのこと。海外の田舎に住むということは己の妥協との戦いなのだ。

もしも不幸にも海外の田舎に住むようになってしまった場合や、納得した髪型にならない!と感じている方がいれば少々手間はかかるが、日本の方に手を委ねる、という方法もあると知ってもらえれば幸いだ。

最後に、イギリスの名誉のために書いておくが、カラーリング技術はさすがに先進国。こちらでは数日前にパッチテストをし、皮膚に異常がないかキッチリ調べて初めて施術してくれる。肌の弱い方にも安心で、ツヤの出るカラーリング剤を選んでくれ、それは美しい仕上がり。ドラッグストアでもカラーリングの種類の多さは圧巻。どうりでブルーやピンクのカラフルな髪の人も多いのね。

【今日のひとコマ】

日本で小さな頃から馴染みのパン、「ミニスナックゴールド」が人気再燃とニュースで知った。どうしても食べたくなり、自作してみる。

通常の菓子パン生地に、市販のパイシートを重ねては伸ばしを繰り返し形成。アイシングで仕上げたら、まぁソックリ!味はやっぱり昔から食べてたヤツのがうまい。何かが違う・・・。

Maru

春を旅する#2  アンティークの街Rye

イギリスの田舎ならではの古い建築物と石畳が中世の雰囲気を残す町Rye(ライ)を訪れた。

古くから文豪やアーティスト、世界のセレブも好んで滞在するというライ。ロンドンから日帰りで行けるイギリスの田舎町として人気の街だ。

さて、散策開始。どこから歩こうか。


都心とはまた違う、中世の面影を濃く残した石畳の緩やかな坂道が続く。

路地に入り組んだ邸宅のフロントガーデンの美しさに足を止めたり・・・

さっそくアンティークショップがちらほら。

魅惑的なボードに誘われ路地に入ると、奥はなにやら工房や小さな陶器のお店が点在。


スイーツショップでお菓子を買って散策は続く。


季節があえば見事な花が見れただろう可愛い前庭。ライのお家のドアにはときどき特徴的なデザインの・・・


ドアノッカーが。ユニークなものがたくさん見られた。


歩き進めるとイギリス南東部で最も知られる宿のひとつMarmaid Innを発見。12世紀に建てられたこの宿は、ホーンテッドイン(おばけの出る宿)としても有名だ。チューダー様式のデザインに歴史を感じる。

少し歩き疲れたのでティールームでひと休み。美しく並べられたケーキに思わず足を止める。

ライで最も古いティールーム「Simon the Pieman」。16世紀に設置された暖炉はまさにアンティーク。ここのスコーンはとてもソフトでクロテッドクリームはバターのように濃厚。

ティームールの目の前にあるSt. Mary’s Churchへ。ここのタワールーフから街の眺望が見下ろせる。


田園と立ち並ぶ家々が美しかった。St Mary’s Churchのサイトはこちら

最後にハーバー近くのアンティークショップへ。お店が1箇所に集中しているので時間がない人にも回りやすい。


「Bric & Brac」と「The Quay Antiques & Collectages」。ここはイギリスのアンティーク雑貨からジュエリー、なんと日本のこけしや日本刀まで小さな雑貨がところ狭しと置いてある。宝探しのようで楽しい。 さらに22語

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April 22, 2017 at 01:40PM

萩藩を乗っ取った人たちが幕府を倒した。テロリストたちがイギリスの引き立てで国家指導者に。明治国家はイギリスのステルス植民地。
日本人がインドに行ってシタールを学ぼうとしたらぶっ飛ばされる。バラモンの専業。ところがビートルズはそれが出来た。
(形式的には独立しているがイギリスのステルス支配下という点で、近代日本とタイは似ている)

https://youtu.be/Ao1e2xYy9Sk

Ifttt

ブログについて

2016年、2月に無謀とも思える英国のワーキングホリデーに夫婦2人で応募し、運よく2人ともワーキングホリデーのビザを取得することができました。30歳で、英国のワーキングホリデーに応募できる最後の年でした。

31歳を迎えるまでに手続きが必要で、4月にビザ取得の手続きを終え、6月末までに渡英しなければならない、ハードスケジュールでバタバタと6月末のロンドンに到着。

着の身着のまま到着したヒースロー空港は大きすぎて、バス停とメトロを行ったり来たりしてようやく空港近くのホテルに辿り着きました。何よりも厳しかったのが、6月なのに気温が10℃くらいしかなく二人して夏の格好(日本は暑かった)で、震える思いをしました。

それから家探し、Tire5ビザ、バイオメトリックカードの取得、GP(皆保険制度)の登録、語学学校、仕事探しと様々なことがありました。

半年以上すぎてようやく生活が落ち着き、ブログにこれまでの経緯などをまとめていきたいと思います。

イギリス

イースターの楽しみHot Cross Buns

イギリスやオーストラリアではおなじみの、イースターに食べるHot cross buns(ホットクロスバンズ)をご存じだろうか。

イースターが近づく時期になると、スーパーではやたらにコレを推してくる。十字に印しの入った照りのある表面とシナモンの良い香り。基本の味はミックススパイスとレーズンの入った甘いパンだ。


Photo by instagram Albion

イギリスでは6~8個が一緒の袋に入って売られており、見た目は日本の「レーズンパン」。ただ日本のそれよりちょっと重めで中身はしっとり、食べ応えがあるのが特徴だ。これを横半分に切り、厚めのバターをはさんでいただく。トースターで焼いても香ばしくてナイス。

しかしなぜイースター?と疑問に思ったので調べてみた。

ホットクロスバンズはもともとイースターのグッドフライデーに食べられたパンで、由来には色々な説がある。14世紀にセントアルバン教会の牧師がキリストの十字を描いたパンを貧しい人々に配ったという説をはじめ、このパンをキッチンに吊るしておくと火事にならない、パンがうまく作れるなどおもしろい言い伝えもある。

またイギリスEssexにあるこちらのパブ「The Bell Inn」では、1906年から毎年1個づつホットクロスバンズを天井から吊るす習慣を続けている歴史あるパブ。


Photo by instagram

このパブでは今でもグッドフライデーにはお客にホットクロスバンズを配る。


Photo by instagram

それにしても100年前のパンがいったいどうなっているのか。怖いもの見たさでいつか訪ねてみたいパブのひとつだ。

The Bell inはこちら さらに12語

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Mothers Dayと母の想い

3月26日の日曜日はイギリスの「母の日」であった。前日は女友達と昼から息抜きを楽しんでいたこともあったし、義母には夫から事前にカードを贈っていたのですっかり失念していた。

日曜日の朝、キッチンで自分のためのコーヒーを淹れていた私にニコニコと息子2人が

「Happy Mothers Day, Mum.」とカードとキスをくれた。ああそうだったと思い出した。

見ると13歳になる長男のカードに、

「いつも優しく見守ってくれてありがとう。毎日家のことや僕たちの世話、大変だと思う。心から感謝しています。愛してるよ。」と書いてあった。

ちょうど思春期なこともあり、いつもは「ああ、うん。別に。」が口癖の長男。ムッツリと言葉数の少ない難しい年頃で何を考えているのか正直わからないこともあり、こんなことを書けるようになったのか、と感慨深いものがあった。

欧米はカード文化で、誕生日はもちろん結婚記念日やバレンタイン、クリスマスなど家族間でカードを贈りあう習慣があるが、私には何年たっても体になじんでこない。日本人であるがゆえか、家族間なのに「面倒だな」と感じるところもある。

夫からの感謝のメッセージはもらっても、まぁ嬉しいことは嬉しいが、申し訳ないことにそこまで心に響かない。が、やっぱりこればっかりはしょうがない。子どもからのカードや贈り物は特別で無条件に嬉しく涙もろくなる。母親とはそういうものなのかもしれない。

思えば、私はかつて母にこういう手紙を書いたことがあるだろうか。あげた本人は思い出せないものだが、たぶんどの母親も子どもからもらった手紙の内容やプレゼントなど、言葉にはしないが心の記憶に残っているのではないかと思う。

我が母と言えば、気が強いわりにとても心配性で寂しがり屋。私が独身の頃は、田舎から出て行った私に何年たっても帰ってこいやら、あんたが泣いてる夢を見たと言っては電話をかけてきたりした。こんなのどこでも買えるのに、と思わせる小さな頃に好きだったお菓子や果物を飽きるほど送ってきたりもした。

私がカンボジア~ベトナムに旅行に行ったときなど、心配症なので一応宿泊先と旅のルートを教えておいたところ、カンボジアでの宿泊先に「うちの娘はそこに泊まってますか?」と連絡してきたくらい、英語ができないにも関わらず。それが伝わったということは必死に何度も私の名前を連呼し、ようやく通じたということなのだろう。帰国してから「電話したんだけど、昨日出発したよ、みたいなことを言われた。」と安堵した声の母から報告を受けた時は、彼女の心配症の度合いに心底呆れたものだ。

海外旅行が好きで、まったく落ち着かないそんな私にも年貢の納め時がきた。当時つきあっていた今の夫とは母も何度か面識があったが、結婚すると報告したときの母の反応が今でも忘れられない。

この人と結婚したいのだけど、いいかな?と尋ねたところ、母は少しびっくりしたような顔をした後うつむき、そしてグッと顔を上げ

「そっか、良かった!彼ならお母さんも安心だよ。ほら、イギリスなんてね、飛行機に乗ればいつだって会えるし、近いもんだわ。うん、おめでとう!」

近いもんだ、なんて。根っからの田舎者で飛行機が怖くて海外にも行ったことのない母だ。今思えばせいいっぱいの虚勢であったのだろう。

今になって思う。あのとき、母は娘が遠くに行ってしまうのではないかという寂しさと不安で、ただただ複雑な思いであったのだろう。けれど目の前の娘を見ればわかってしまったのだ。娘はもう自分の手から離れ歩き出しているのだということを。

それ以降は二度と戻ってこいなどと言わないようになったし、しょっちゅうあった連絡も少なくなった。頑固者の父への説得も根回ししてくれ、私はなんの障害もなく夫と一緒になることができた。実家に帰れば私の夫に「私の息子だから」と可愛がってくれ、外人さんだからと彼の好きそうなご飯を工夫して作ってくれたりもした。不器用だったができる限りの気を配ってくれ、母には感謝あるのみである。

海外生活をする方の多くは、数多くの家族との想いや別れのストーリーがあるだろう。それは日本にいても離れていれば同じことなのかもしれないが、親からしたら異文化で生活する子どもたちの生活は想像し難いものであると思う。日本人だからと言って苦労してないだろうか、もしものことがあったら助けてくれる知人はいるのだろうか、いくつになっても心配は尽きることがない。

ただ、私にも遠くない将来必ず来る、息子たちを送り出すときが。外国に行ってしまう可能性もあるし、逆に日本の可能性もある。そのとき上手に言えるだろうか、あのときの母のように笑顔で。今はまだ自信がない。

母の日に毎年思う。改めて言葉にするのは照れくさくて言えなかったが、今日の息子のようにちゃんと伝えればよかった。

「心から感謝している。愛しているよ。」と。

この想いが天国の母に伝わることを願って。

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